三・一運動した科学少年が海外留学…南北科学界の土台なった
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.28 14:34
今年100周年を迎えた三・一運動(独立運動)は朝鮮科学技術の種も撒いていた 。当時の独立万歳運動には、未来の南北学技術界代表になる少年科学者も参加していた。1902年生まれの化学者、李泰圭(イ・テギュ)は彼の回顧録で三・一運動に参加した途中で逮捕を避けて帰郷したという事実を記録で残した。その後、大韓民国で李泰圭は化学界の父として仰がれ、ソウル国立顕忠院に安置された。1903年生まれの物理学者、都相録(ト・サンロク)は独立宣言書の印刷容疑で検挙されて咸興(ハムフン)地方法院で懲役8カ月を求刑され、京城覆審裁判所でテ90の実刑を宣告された者と同一人物であると推定される。その後、都相録は北朝鮮科学院の院長を務め、人民科学者に推戴され、平壌(ピョンヤン)の新美里(シンミリ)愛国烈士陵に埋葬された。
三・一運動は当時の10代の少年に自強意識を植え付けた。全北(チョンブク)大学キム・グンベ教授の研究によると、1920年代に科学技術を学ぶために日本や米国などに留学に行く者が増えた。国内では京城工業専門学校朝鮮人学徒と卒業生を中心に1922年発明学会が結成されて大衆的科学運動を展開した。